なぜ善人に悲劇が起こるのか? H.S.クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか』2章まとめ

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皆様、こんにちは!金時です。
前回に続き、H.S.クシュナー著『なぜ私だけが苦しむのか』今回は2章のまとめです。

クシュナー
クシュナー

因果を超えて、灰の中から立ち上がれ!

「なぜ世界はこんなに残酷なのか?」
私は娘が障害を持って生まれたときにそう思いました。

クシュナーも難病で息子を亡くし、その苦しみや意味をヨブ記から答えを探そうとします。
「なぜ、悪人ではなく私に悲劇が起こるのか?」

そして、2章でこう結論付けます。

「なぜ、善良な人に不幸が見舞われるのか?」
という問いにヨブ記で神は
「はっきり答えなかった」。

答えはない。
いや、私たちに理解はできない。
この世界は善人とて悲劇が避けられる場所ではない。
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それでも世界は愛にあふれ美しい。
偉大な存在はいつもあなたと
ともに歩み、ともに怒り、ともに悲しむとクシュナーは言います。

ですので、起きた悲劇の怒りや責めを自分に向かわせないでください。
「この状況を見てください。助けてくださいますか?」と問い、
悲痛の中から立ち上がってください、と。

『ヨブ記』で、なぜ神は明確に答えなかったのか?
答えたらどうなっていたのか?
そもそも、なぜ神の創った世界にサタンがいるのか?
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ヨブ記は難解で神秘的な書物です。

答えを求めて読むと、逆に疑問が増えるリスクすらある書物です。
だからこそ、多くのヒントがあり、その啓示は今も多くの人を惹きつける魅力になっていると思います。

それでも私が読み取った限りでは、

世界は深遠で神秘に満ちています。
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私たちは、この世界のわずかしか見えていません。

そして、自動販売機のように単純な因果応報などありません。
私たちはこの世に生まれた理由すらわからないまま、この世を去ります。

究極のところ「なぜ、このようなことが起こるのか?」と
起きたことを
完璧にわかることはありません。

残念ですが、悲劇は私たちをすり抜けて起こります。
アクシデントは突然、現れます。

荒々しくて危険で、混沌としたものも、また世界の一部だからです。
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だからこそ、心当たりのない悲劇が起きたときに自分を責めないでください。

そう、悲劇が起きたとき、立ち上がり怒って良いのです。
ヨブのように「どうすれば良いのですか?」と灰の中から立ち上がりましょう!

その時、違う景色が見え、再生する力が与えられるはずです!
答える

あなたが立ち上がるのを待っている人がいます。
あなたが立ち上がるのを見守っている存在がいます。

1章のまとめは以下のリンクより飛ぶことができます。
関心のある方は一読よろしくお願いいたします。

では、『なぜ私だけが苦しむのか』の第2章をまとめていきます。


なぜ善人に悲劇が起こるのか?
名著『なぜ私だけが苦しむのか』2章まとめ

1.なぜ、ヨブ記なのか?

今回、2章でクシュナーは
「なぜ、善良な人に不幸が起こるのか?」をヨブ記からひも解きます。

ヨブ記とは一言でいうと
「善良な人に不幸が起きる、
つまり何も悪いことをしていない善人に苦しみが起こるという『義人の苦難』」の書。

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わが子に起きた悲劇をヨブ記からヒントがもらえるはず、とクシュナーは考えます。

そして、クシュナーは3つの命題を考えます。

・神は全知全能。世界に起こること全てが神の意志である。
・神は正義で公平。善き者は栄え、悪しき者は処罰される。
・では、なぜ善人のヨブに悲劇が起こるのか?

「ヨブに悲劇さえ起こらなければ」この世界は完全に調和が取れており、納得できます。
しかし、ヨブに災いが起きることで世界は理解が難しくなります。

現代にも際限なく繰り返される矛盾です。
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しかし、前述したようにヨブ記にはっきりした答えは用意されていません。
この神秘に満ちた世界は、私たちが想像できないシナリオが繰り広げられています。

悪魔は笑って近づき、祝福は困難に姿を変えてやってきます。

神の子イエスは十字架にかけられました。
なぜ神の子が生涯を幸福に長寿を全うしなかったのでしょう?

クシュナーはヨブ記から何を学んだのか?
何を伝えたいのか?

まずは私の理解した範囲で簡単にヨブ記をまとめていきます。
詳しくヨブ記を知りたい方はぜひ『旧約聖書』を読んでみてくださいね。

『ヨブ記』要約。

『旧約聖書』に収められたヨブ記は、
2500年ほど前に作られた詩であり物語で、場所や時代を定かにしていません。
4000年前ほどの設定の物語と考えられています。

むかしむかし、ウツという土地にヨブという男性がいました。

ヨブは神をおそれ敬い、高潔でした。
彼は財産と家族に恵まれ、神の祝福を受け幸福でした。
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場面は一転、天上の世界となります。

神が、神の使いとともに語っています。
神はヨブの人物を褒めていました。

そこへサタンが現れます。
サタンはヘブライ語で「糾弾する者」「道をふさぐ者」「誹謗する者」などを意味します。

サタンはヨブは神の祝福を期待して、信仰をしているのではないかと疑います。
すべて取り上げればヨブの信仰心は揺らぐはずだ、と。

神はヨブを信頼しており、
「命以外、奪ってみるがよい」とサタンの挑戦を許します。

そして、再び何も知らないヨブの場面になります。

あっという間にヨブはサタンの手によって家族と財産を失います。

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10人の子どもたちは死に、家族は妻だけになってしまいます。
家は焼け、財産も失い、灰の中に取り残されるヨブと妻。

おまけに健康も奪われます。
体中にできものが出来て、土器のかけらで体中をかきむしるほどです。

体中の腫瘍は、当時は死を意味していました。
しかし、ヨブは静かに耐え忍びます。

ついにヨブの妻は
「神に裁きを受けようとも、こんなひどい仕打ちを受けるなら神を呪うべきだ」と言います。

ですが、ヨブの信仰はゆらぎません。

「お前まで愚かなことを言うのか。
わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」

さらに、神からいただいた恵みを神に返すのは当たり前ではないかと。
このようになっても、ヨブは神を信じ高潔でした。

そんなところに、3人の友人たちがヨブをお見舞いにやってきます。
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この3人は賢人で、腫瘍がうつることも恐れずヨブに会いに来た友情にあつい人物たちです。

ところが、最初はヨブを心配していた友人たちですが、
次第になぜヨブがこのような状況になったのかを議論するようになります。

ついに、友人たちとヨブたちは激しい応答を繰り返すようになります。

・神は全知全能で、世界に起こることすべては神の意志である。
・神は正義であり、公平な方である。善き者は栄え、悪しき者は処罰される。
・ではなぜ善人のヨブに悲劇が起こるのか?

そして、この3つの議論に行きつくのです。

3人の友人たちはそれぞれ主観主義・歴史主義・教条主義の立場で語ります。

しかし、どのように話をしても友人たちは「神は絶対的な存在」で世界は秩序だっていて、ヨブの悲劇は因果応報であると考えます。
ですので、「こんな罰を受けているヨブがやはり罪深いのだ」と責めるようになります。

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もちろん、ヨブの悲劇がサタンのしわざによるものとは誰も知りません。

友人たちは、しだいにヨブを追い詰めます。
しかし、ヨブはやはりこんな仕打ちを受ける覚えがありません。

話は平行線で、決着がつきません。
ここで、実は4人目の友人がじっとその様子をうかがっているのがわかります。

この4人目の友人は因果応報でわり切れない世界についてこう話します。
「神は何かを教えようとしてくださるのではないか?」と。

教育的な意味をもって、苦難を与えられていると主張します。

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この一番若い4人目の友人の話には一理あるのですが、
結局、無罪を主張するヨブに「悔い改めよ、傲慢だ」と責め立ててしまいます。

しかし、やっぱりヨブにはこのような災いを受ける心当たりがありません。
結局、この話もヨブを納得させることはできませんでした。

およそ議論は出尽くしました。

ついにヨブは天に向かって自分の無実を宣誓し、苦しみが不当であることを主張します。
「私を裁いてください」と。

ついに突風が吹き神が登場します。
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神はヨブの訴えにシンプルな回答をしません。
その代わりに世界のあらまし、森羅万象のビジョンを見せます。

そして、大量の質問をヨブに浴びせます。

「わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら/理解していることを言ってみよ。」

つまり、無限の視点と時間軸を持つ神の側に立てるのか?と。
この世界に異論があるのならば、神と同じ無限の視点を持って語りなさい、と。

この世界にはベヘモットやレビアタンといった人間にとっては危険な怪物もいる。
これらも神が創造し、それらも世界の一部であることには変わりはない。

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結局、ヨブは神の質問に答えることができず、沈黙し、ついに悔い改めます。

焼け落ちた家の灰の中に静かに座ります。
それは無知を知り、この深遠で神秘に満ちた世界への謙虚な気持ちからだったのかもしれません。

そして、神は最初に登場したヨブの3人の友人に「私を正確に語らなかった」と𠮟りつけます。
加えて、ヨブに友人たちのために祈れと命じます。

ヨブは自分を責め立てた友人たちのために祈り、ついに神の祝福を受けます。

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神の祝福を受け、ヨブはサタンにより失った富を再び手に入れ、10人の子どもたちも授かり、幸福に長寿を全うするのでした。

『なぜ私だけが苦しむのか』第二章まとめ。

この『なぜ私だけが苦しむのか』の第2章をまとめるにあたり、私は初めてヨブ記と接しました。
くじけるかと思うぐらい、難解で深遠なストーリーでした。

2500年前も前に書かれたのかと思うほど神秘的で面白い物語でした。
長い月日が流れても人間の本質は大きく変わらないことを学びました。

とにかく、私では読み落としたり、理解できていない部分もあると思います。
ヨブ記についてはぜひ、興味がわいた方は聖書などを調べてみてください。

とにかく私のような未熟な人間にも深く突き刺さりました。

神が一言、ヨブに「サタンがお前を試そうとしている、私はお前を信じている」と
説明したらどうなっていたでしょう?

ヨブは安心し、慢心したかもしれません。

なぜ、神はサタンの存在を認めているのでしょう?

世界は最初は混沌であったと語られています。
原初のエネルギーは混沌にあります。

この世界には、混沌も危険もある。
だけど、生きるに値する素晴らしい世界であると『ヨブ記』は語っていると思います。

また途中で、ヨブを責め立てる妻や友人たちがサタンと同じような言葉を口にしてしまいます。
彼らも善人です。

人間は良かれと思った言動すら、たやすく道を踏み外してしまう危うい存在です。
誤った考えは人をサタンに変えてしまいます。

正義と公平を深く考えさせれました。
不幸や悲劇もまた公平に人々に起きてしまうのかもしれません。

ヨブは幸も不幸も頂こうではないか、という立場を貫きます。
強い信念を感じます。

そして、起きたことを理解するには、まさしく神のような無限の視点を持つ以外に方法はありません。

究極のところ、起きたことを正確に判断することはできません。
究極のところ、因果応報を考えても無駄です。
ですから、身に覚えのない悲劇が起きたときに自分を責めるのは、世界を責めることになります。
だから、立ち上がりましょう。
悲劇の中だからこそ、ヨブのように灰の中から立ち上がりましょう。
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クシュナーも第二章で、神は人間の考える善や公平、正義を超越した存在であると言います。

この世界は良いことをしたら、すぐに祝福が訪れるような自動販売機のような簡単なものではありません。

「なぜこのような事をなさるのですか?」それに対して神は沈黙します。
神が悲劇を起こしているわけではないとクシュナーは言います。

人々の行動を逐一チェックして誤った行動をするごとに雷を落とし、
善きことをしたらその度に祝福を与えるようなことを神はしません。

我々は原因を追究するのではなく
「どうすれば良いのですか?」と助けと力を求め、灰の中から立ち上がるしかないのです。

あなたが苦しみ、倒れている時は周りの者は見守っているしかないのです。
ですが、あなたが立ち上がる時、必ず誰かが手を貸し応援してくれます。

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残念ですが、悲劇は起きる時には起きます。
そして、生きてれば何かが起きます。

ヨブ記でもわかるように
人は苦難に直面した時に、世界の神秘や深遠さに触れる機会を得ます。
なぜだかわかりませんが、痛みの中で人は大きく成長するのです。
人は強い、そう信じます。

そして成長し、強くなれば、闇の中に光を見つけることができます。
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あなたが光を見つけ、闇の中にいる友人や家族を照らすこともできます。
人は逆境の中でさらに輝ける存在だと思います。

著者は言います。

私たちがこの世の出来事に対して怒りを感じた時、神は共に怒っておられる。
悲しみ叫んでいる時も神は私たちの側にいるし、我々もまた神の側にいる、と。

不条理に対して怒りましょう。
灰の中から立ち上がり、新しい景色をつかみましょう!

以上が私なりにまとめたH.S.クシュナー著『なぜ私だけが苦しむのか』の第二章となります。


本当にヨブ記はとても面白い書物です。
こうやってまとめていてもたくさんの思いが湧き上がってきます。

世界は少しずつ良くなってます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

では、次回では第三章をまとめます。
皆様に光あれ!!

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