『それでも世界を愛せますか?』H.S.クシュナー著『なぜ私だけがくるしむのか 最終章』まとめ

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こんにちは!金時です。

H.S.クシュナー著『なぜ私だけがくるしむのか』
最後のまとめです。


著者クシュナーは難病で息子アーロンを失った。
ユダヤ教の教師である善人の著書がなぜこのような目に遭うのでしょう?

私の娘も重い病気を持って生まれ、重要な本となりました。

クシュナーは最後にこう締めくくります。

私は、アーロンとアーロンの人生を教えてくれた
すべてのことを思い起こす。
なんと多くを失い、なんと多くを得たことか。
昨日の痛みはやがて去りゆくだろう。
そして、私は明日を恐れない。 

クシュナー
クシュナー

「私は明日を恐れない」。

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クシュナーは難病で10代で息子が亡くなるまで
苦しみ、意味を問い、いつか息子を失う日を恐れ、
神を疑い、運命を呪ったと思います。

いつか時間に息子を奪われる、明日がくるのが怖かった時もあったはずです。
しかし、明日を恐れないと言えるようになった。

本の原題『WHEN BAD THINGS HAPPEN TO GOOD PEOPLE』。
善人に悪いことが起きた時。
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私たちはうすうすこの世界が不完全なことに気づいています。

無意味な暴力、不条理な嵐が存在する世界。
悪人だろうが、善人だろうが嵐が起きる時は起きる。

クシュナー
クシュナー

それでも、不完全なこの世界を愛せますか?

私はこの世界を神が創造したかどうかはわかりません。
しかし、私は何ひとつ失わずに生きることができないのは知っています。
私たちは大切なものの失い方を選べない。

それでも不完全なこの世界を愛し、
何があろうと私たちは勇気を持って希望をつなぐ。

いつかすべてがほころび、滅びます。
いつか全部ゼロになる。

だから良い!だから良いんです。
今のあなたには生命の輝きがある!
太陽の日差しのようにまばゆく輝く。

今は力を集中して未来を創る。
ニヒリズムを超えましょう!

立ち上がる

悲劇とは?
希望とは、神とは、宗教とは?
クシュナーとともに最終章を通して一緒に学んでいきたいと思います。


ほんとうの奇跡

困難に直面しどうにもならない時、
自分の無力さを思い知った時に人は祈ります。
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正しく祈れば奇跡は起こるのでしょうか?
願いは天に通じて報われるのでしょうか?

7章でクシュナーは祈りと奇跡について考えます。

がんが治る、凄惨な航空事故で生還する、、、
奇跡としか思えない話を耳にすることがあります。
神様が願いを聞き入れて奇跡を起こしてくれたのでしょうか?

一方で、クシュナーの息子はいくら祈っても難病は治らず、あっさり10代で天国に旅立った。
奇跡は起きなかった。

神様が命の選択をしたのですか?

必死の祈りは届きませんでした。
願いが叶わない祈りとは!?
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聖職者としてクシュナーは二重に苦しみました。
息子を失う事、そして、神への怒りと不信。

ただ祈るではなく 力と決断と意思をのみ
我らは祈り求めるのです。
ジャック・リーマー『リクラット・シャバット』

そして、クシュナーは神学者の言葉に出会います。

神学者のジャック・リーマーは
「戦争や貧困、差別など問題の解決方法は
すでに我々は知っている。
祈って神に解決を求めるものではない」といいます。

私たちは正しい行動をするための
「力と意志と決断」を祈りによって求めるのだ、と。
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結局、祈りとは自然法則を曲げて奇跡を起こすことでも、
なんでも解決する魔法の杖を求めることでは無いのです。

神に祈れば願いが叶う、特別扱いされる。
そんな単純な話ではない。

さらに、クシュナーは問いかけます。

クシュナー
クシュナー

本当に祈りはまったく届かなかったのでしょうか?

あなたが苦しんでいる時に
一緒にあなたのことを思ってくれる人はいませんでしたか?

思ったようには祈りは聞き入れられないかもしれません。
周りに理解してもらえなかった。

しかし、それでもあなたに言葉をかける人がいた。
それは当たり前ではないのです。

もっとひどい状態になるかもしれない、
明日が良くなる保証などない。
それでも前進する人がいます。

あなたは苦しかった。
それでもヤケにならなかった。

それが奇跡です。
あなたの祈りが困難をはねのける力を、
そして人々とのつながりを回復する力を与えてくれます
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祈りはあなたのつながりを再生する力を持っています。
祈るあなたを独りにはさせない。

ほんとうの宗教

8章、最後の章となりました。

クシュナーは息子アーロンが亡くなって1年半たった日、
『サムエル記』のダビデ王の言葉をきっかけに立ち上がることを決意します。

ダビデ王は初めの子が死ぬ寸前まで断食し、
奇跡が起こるように祈り続けました。
しかし、息子が亡くなると、
身を清め、衣服を整え、食事をとり
断食を止めました。
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それを見た家来たちが
「あなたは何をやっているのですか?」と問いました。

ダビデ王は言います。
断食している時は、神があわれんで息子を救ってくれるかと思った。
だが、息子は死んだ、断食を続けても息子は生き返らない。
だから私は再び立ち上がり、前進する。

ざっと意訳しましたが、
クシュナーはこれをきっかけに
自己憐憫を抜け出し、本を書き始めました。

クシュナーは息子の生と死を経験し、
感受性が豊かになり、
より思いやりを持つ人物になりました。

しかし、息子が生き返るのならそんなものは
一瞬のうちに捨てる、と断言します。

しかし、息子は帰らない。
ダビデ王のように前に進まなくてはいけない。

クシュナーは神を信じています。
しかし、神の限界もわかった。

この世界は不完全です。
悲劇の中、私たちは世界の不完全さを痛感します。

この世界はまだまだ解決すべき問題が多い。

だから、あなたの力が必要です。

悲しみを意味のあるものに変えられるのは、あなたです。
不完全な世界を知ってしまったあなたが意味を与えなくてはいけない。
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起きた悲劇を善に捧げましょう!

不幸でヤケになってはいけない。
悲劇を悪に捧げてはいけない。

クシュナー
クシュナー

あなたの愛がなくては神も存在できない。

あなたが神を必要としているように
神もあなたを必要としている。

宗教も祈りも神も都合よくあなたを救ってはくれない。だが、あなたの愛が無ければ神もまた存在できない。

だから、あなたは大いなるものの一部です。闇を振り払い、光を創らなくてはいけない。

さあ、立ち上がりましょう。
ゆっくりでいい。
立ち上がった時、あなたは独りではなくなっています。

置いてきたもの、失ったものはたくさんあるかもしれない。
でも、そればかり考えてはダメだ。

まだ出来ることがある。
形は変わってもあなたの願いは叶う。混沌に意味を与えるのはあなたです。
あなたはずっと主人公だ。

これで『なぜ私だけがくるしむのか?』のまとめを終わります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた!
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