今回は芥川賞受賞「むらさきのスカートの女」の感想と要約です。
気味の悪い表紙とタイトル、そして芥川賞受賞という響きに惹かれて手に取ってみました。僕の写真にも難があり、より雰囲気のある仕上がりに。
むらさきじゃないじゃん!スカートなのこれ!?子供のような足が4本。もう、気味悪い!写りこんでる左の親指…!これは僕のか…。
どの町にでもいる、その地方のみで有名なちょっと変わった人。この町には名物「むらさきのスカートの女」がいる。それを見つめ、お近づきになりたい「わたし」。一人称である「わたし」も変。
結局、まともな大人はほとんど登場しない。
僕は作者の今村夏子さんを知らず、予備知識もなく読みましたが、『エイリアンvsプレデター』『フロム・ダスク・ティル・ドーン』『アウトレイジ』しかり、一人称側の人間がまともじゃないやつ好きです。オチが読めませんもんね。
タイトルの都市伝説「ムラサキカガミ」を連想させる感じ。グッドです、好みです。
勢いあまって「ムラサキカガミ」を調べてみたんですが止めとけばよかった。20歳まで覚えておくとヤバいよ系のやつだったんで後悔。まあハタチなんてとっくに超えてますけど。
どんどん「むらさきのスカートの女」を超える「わたし」こと「黄色いカーディガンの女」。結局どうしたかったのか?っていうわけで要約からスタート!
【ネタバレ注意】都市伝説の女の葛藤。芥川賞受賞『むらさきのスカートの女』感想と要約
要約
「わたし」は町のプチ有名人「むらさきのスカートの女」に夢中。なんで?という説明は無さそうなので考えるのは野暮なようです。
つまり、何が言いたいかいうと、わたしはもうずいぶん長いこと、むらさきのスカートの女と友達になりたいと思っている。
ちなみに、むらさきのスカートの女の家ならとっくの昔に調査済みだ。
「わたし」は、著者なの?っていうほど、神の視点のように「むらさきのスカートの女」の生活を実に細かく踏み込んで見つめている。好きな食べ物、好きな場所、行動パターン、ある意味、本人より本人に詳しいかもしれないほど執着をもって調べ上げている。
そして作中に何度も「わたし」が連呼する「むらさきのスカートの女」の名称。これだけ調べてるんだから名前ぐらい知ってるだろう!と突っ込むのも野暮。「わたし」は「むらさきのスカートの女」であるから好きなんです。
読んでると目に何度も飛び込んでくる「むらさきのスカートの女」の言葉。もうそれが気持ち悪い。脳に焼きつきそう!
「むらさきのスカートの女」のディテールも解説してくれるんですが「わたし」の知り合いを引き合いに出すんですね、知らんがな。おかげでいまいち想像ができない。
がんばれ、むらさきのスカートの女。面接、どうか受かりますように。
「むらさきのスカートの女」の就職活動をサポートする「わたし」。「わたし」は巧妙に…いや、かなり大胆に自分の勤めている清掃会社に「むらさきのスカートの女」を誘い込みます。
「いやいや、頼もしいなと思ってさ、仕事はできるし、酒にも強い」
無事、清掃会社に仕事が決まった「むらさきのスカートの女」。不思議と職場になじんでいく。お局軍団のボスから気に入られ、評価も高い。同じ職場にいるはずの「わたし」は陰が薄く本当にいるのがどうかすらよくわからない。
読んでいると「わたし」の奇妙さに気づく。「わたし」の話題を職場の同僚がしているのにそこにいないかのように話が進み、それを聞いている。この辺で「わたし」の方がやはり「むらさきのスカートの女」よりヤバい人なんじゃないかという事に気づく。
だから、もう一度つまんでみる。今度はもっとしっかり、爪が鼻の頭に食い込んで血が出るくらいまで。
バスで「むらさきのスカートの女」の肩についたご飯粒をこっそり取ろうとして、バスが揺れてうっかり「むらさきのスカートの女」の鼻をつまんでしまう「わたし」。しかし、痴漢騒動があり、鼻をつまんでしまった行為が話題に上がることはなかった。
「わたし」は「自分のしたことが無かった」ことになるのが我慢できず、次は血が出るまで鼻をつまもうと決意する。はい、アウトー!
明らかに一線を越える行動だが、本には一人称の「わたし」の感情が今一つわからない。動機はわかるが感情の動きが読み取れない。
本全体を通して「わたし」の感情が細かく語られることがない。それが「わたし」であり、「わたし」の怖さや異常さにつながっていく。
塚田チーフに言わせると、「腐ったバナナみたいな匂い」ということになる。「所長のコレがいた場所は一発でわかるわ。臭いから!」
快進撃を続けていた「むらさきのスカートの女」。ついに職場の所長と不倫。普通の人以上のコミュニケーション、もう立派な社会人。まともといえば、まともである。
そんな「むらさきのスカートの女」にもかげりが見え始める。ついに牙を向く、職場のお局様軍団。気が付けば「むらさきのスカートの女」以外の人間の方が異常に見えてくる。

「わたしは、黄色いカーディガンの女だよ」
あなたが。黄色いカーディガンの女?
むらさきのスカートの女がそう言った気がした。
すったもんだあって、逃亡をするはめになる「むらさきのスカートの女」。そこに救いの手を差し伸べる「わたし」こそ「黄色いカーディガンの女」。
「わたしは、黄色いカーディガンの女だよ」という「僕がスパイダーマンだ」みたいなセリフをいう「わたし」の感情はやはりよくわからない。友人になりたいとしても、まともじゃないセリフが続いていく。
「むらさきのスカートの女がそう言った気がした。」これ、言ってないかもしれないんですね。クライマックスでのねじれた自意識。クラクラします。
「わたし」は最後に華麗に所長を脅し、時給を上げる要求をして、「むらさきのスカートの女」の定位置に鎮座し都市伝説と化す「わたし」。ついに「むらさきのスカートの女」とシンクロ。結局どうなの!?彼女の感情はわからないまま。
しかし思う、この「黄色いカーディガンの女」を見つめる第3の女がいるだろう。ねじれがループする。
著者 今村夏子さんとは?
広島県内の高校を経て大阪の大学を卒業。その後は清掃のアルバイトなどを転転とした。29歳の時、職場で「あした休んでください」といわれ、帰宅途中に突然、小説を書こうと思いついたという。
(引用・抜粋:ウィキペディア)
本の中で妙に清掃会社のリアリティがあるなと思ったんですが、働いてたんですね。
しかし、大学卒業してフリーターやって29歳で突然、小説家とはこの方もずいぶん変わっていますね。才能があるから羨ましいんですけど。
芥川賞受賞したという事で次回作もこういう気持ちの悪い作品を出してくれると嬉しいです!
今回の本、感想。
【書籍名】むらさきのスカートの女
【著者名】今村夏子
【出版社】朝日新聞出版
【出版日】2019年6月30日
3時間もあれば読める本です。ざわざわっとしたい都市伝説好きの方にはおススメです。電車で途中まで読んでたんですが続きが気になってしょうがありませんでした。なんとなくだらだらっとした日常の中にざわっと変な事が進行している感じがしてグッドです。
芥川賞の審査委員の方、こんなざわざわっとする感じもお好きなんですね。
最後までなんだか「わたし」の気持ちがいまいちわからない、そんな怖さがありました。何か欠落している感じがします。結局、まともなのは公園の子供だけでした。
子供たちのすぐそばにおかしな世界が広がっているというのもじんわりとした嫌な怖さがありました。
まあ、町の名物の変人って人目を気にせず生きていてうらやましいと思う僕は変なのかな?あくまでも僕がまともな側と思って話してますけどね。
今回はまともな書評でした!以上!
ところで「わたし」はずっと孤立しています。孤独というのは人をおかしくさせるのかもしれません。良かったら合コンで使える質問なんて記事もまとめていますので良かったら異性とのコミュニケーションに使ってくださいね!
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