「悲劇はどこからやってくるのか?」『なぜ私だけ苦しむのか?』第3章まとめ

本、メディア

こんにちは!金時です。

引き続き、H.S.クシュナー著
『なぜ私だけが苦しむのか』まとめです。

今回は3章、
「悲劇はどこからやってくるのか?」。

2章でクシュナーは
「神は苦難に関与していない」と語りました。

ある日、
生徒がラビ(神学者)のクシュナーに尋ねました。
「では、苦難が不運によるもので、
神の意志でないなら
不運はどこからやってくるのか?」

この時、
クシュナーはうまく答えられませんでした。

彼は思います。

これこそが難病で子どもを亡くしたクシュナーも知りたかった、
この本で語りたかった全てのカギとなるものではないか、と。

不運はどこからやってくるのか?
私の苦痛に意味はあるのか?

この章でクシュナーはこう結論付けます。

全てに理由があるわけではない。
理由なき混沌から悲劇が起こる場合もある」と。

クシュナー

混沌の弾丸は誰に当たるかわからない

やはり、混沌は混沌。
神託も教訓もない暗闇も存在する。

悲劇は、混沌からやってくる。

起きた悲劇に意味がないとはひどい世界です。

この宇宙はでたらめなのでしょうか?
受け入れがたいです。

因果関係も無視し、
混沌の弾丸はあなたの大切なものを奪います。

今でも地球の外は真っ暗な宇宙。
何でも起こる。

著者は言います、
今も混沌と秩序はせめぎあっている、と。

この世界は今も危険で、美しい。
虚無ですが、生きるに値する。

こんな世界で力強く生きるヒントを考えましょう。

では、第3章をまとめます。
光、あれ!

1、2章のまとめは
文章の最後にリンクを貼ります。
関心のある方はぜひご覧ください。




「悲劇はどこからやってくるのか?」
『なぜ私だけ苦しむのか?』第3章まとめ

「すべてに理由はあるのか?」

著者はまず、
「全てに理由はあるのか?」を考えます。

悲劇が起きたとしても、
そこには納得のいく理由がほしい。

自分に、わが子に起きた悲劇を
理解して受け入れたい。

この世界は全知全能の神の息吹に満ちていて、
「すべてに神の意志がある」…のか?

神の意志ならば、
私の子どもが障害を持って生まれてきたのにも、
クシュナーの子どもが幼くして亡くなったのも
全て納得できるでしょうか?

…いや、やはり受け入れられない。

子どもに障害を与える神の意志は理解しがたい。

神学者であるクシュナーが
なぜこのような本を書いたのか?

それは、ずっと神を信仰したクシュナーですら
難病を持って苦しむわが子を前に何もできなかったからです。
信仰に迷いが生じたからです。

しかし、深い悲しみの前では
何か理由がほしい。
意味があってほしい。
なぐさめがほしい。

しかし、
神の意志があっても苦痛は苦痛。

理由なき悲劇も受け入れがたい。
神の意志で起きた悲劇も受け入れがたい。

つまり、「理由があるかないか」は
あまりなぐさめにはならない。

むしろ理由があったほうが苦しい場合もある。

結局、この複雑な世界で
はっきりした理由を求めるのは難しい。

戦場で放たれた弓矢は、
罪深き者の名前が彫られ、
明確に命を奪うのでしょうか?

人の命を奪ったハリケーンに
神の意志が込められているのでしょうか?

いや、「理由なきものもある」。
著者はこう結論します。

全ての出来事に理由はない、
そうかもしれない。

それでは、
私たちはただ混沌に横っ面をひっぱたかれる
無意味な被害者なのでしょうか?

いや、起きた悲劇に屈してはいけない。
明日も生きていかねば。

では、どう生きるのか?
次に著者はアインシュタインを語ります。

「神はサイコロを振らない」?

19世紀になると、
科学者たちの熱意で
多くの事象が科学で解明されました。

科学は万能のようでした。

特にアインシュタインは、
森羅万象を物理法則と数式で表そうとしました。

未来も過去も、
起こることすべてが計算できる。
原因があって結果がある。

因果律にこだわりました。


理路整然とした因果の中で、
世界は美しい調和の中でわかりやすい世界となります。

悪しきものは裁かれ、
善き人間は繁栄する。

しかし、一方で「乱雑さ」を表すエントロピーは
今も増大しています。

また量子力学は
今までの古典力学の考えをひっくり返しました。

アインシュタインは、確率論・不確実性を持つ量子力学を
「神はサイコロを振らない」と批判しました。

直訳:量子力学はとても印象的です。しかし内なる声が私に、その理論はまだ真のヤコブになっていないと言っています。量子力学はとても有益なものではありますが、かの古人の秘密にはほとんど迫っていません。いずれにせよ私には、かの古人はサイコロを振らないという確信があるのです

“古人”とは神のこと。

アインシュタインは
量子力学を理解しきれず批判したのでしょうか?

いや、世界は理路整然と言うにはほど遠い、
それでも「神はサイコロを振らない」と言ったのです。

アインシュタインは
物理学を武器に神の秘密に迫ろうとしました。

不安定な世界に
物理学で秩序を創ろうとしたのです。

「神はサイコロを振らない」と言ったのは
その決意だと思います。

混沌はある。
しかし、屈してはいけない。

混沌の前で手を休めてはいけない。

アインシュタインは
無秩序の中に秩序を見出そうとしたのです

創世記では、
「地は茫漠として何もなく、
闇が大水の面の上にあり」とあります。

神はわざわざ混沌の中に天地を創造したのです。

順番があります。

闇が先にある。
だからこそ、その中に光と秩序を創るのです。

悲劇からスタートしましょう!
奇跡を起こすのはこれからです。

混沌の闇の中に意思の力で光を創ることが大切なのだ、
アインシュタインは生涯をかけて私たちに教えてくれたのではないでしょうか?

3章まとめ「光、あれ」。

創世記のはじめに
神は「光、あれ」と言います。

「あれ」という言葉には不思議な響きがあります。
祈り、そして願望と命令が混じっています。

英語では「Let there be light.」
直訳すると「光がありますように」です。

最初に神は暗闇に祈りました、
そこから全てが始まりました。

今、あなたは悲劇の中にいるかもしれない。
果てしない暗闇で無力を感じているかもしれない。

理由なく悲劇は起こる。
それでも屈せず、
奇跡を信じて立ち上がる。

その行為は届かないかもしれない。
報われないかもしれない。

ただ、あなたがあなたをあきらめない限り
希望の光はあなたの内側に輝いています。

理由なき混沌に、光を創る。
これがアインシュタインのいう”古人の秘密”に近づく方法です。

そして、最初に闇を知る必要があります。
天国に奇跡は起きない。

著者は言います。
聖書では神は7日間で天地創造され、休息に入られました。
この混沌がある世界はまだ天地創造の6日目なのかもしれない。

もしくは、天地創造の7日目のあとは
私たちがその仕事を引き継いでいるのではないか、と。

著者はミルトン・スタインバーグの言葉を引用します。
「神の創られし神殿のいまだ取り払われざる足場」は存在したままだ、と。

この世界は
いまだ理由なき混沌と闇が拡大しています。
だから「生きていくことを学ぶ」のです。

大きな存在を感じて、
お互いに支え合う。
絶望せずにささやかな光をつむいでいく。

あなたに「光、あれ」!

これで第3章のまとめを終わります。
次回は第4章『新たなる問い』です。

最後まで読んでいただきありがとうございます!
また次回お目にかかりましょう。
ではまた!

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